15階。
エレベーターに乗っているのは俺1人。
手には子供用オムツと女性用の化粧品が入ったビニール袋を持っており、55階のボタンが光っている。
今まさに自宅へと帰っている所だ。
「1時間。いやっ、それ以上か。家に戻るまでもうしばらくかかりそうだな。」
エレベーターは赤ん坊がよちよち歩きで進んでいくほどの早さだ。
30分が経ち、更に30分が過ぎる。
「そもそもエレベーターが遅いと分かっておきながら何故わざわざ55階の部屋を借りたんだ。
...そうだ、上の階が何故か家賃が安いということに目を惹かれて深く考えずにここに決めてしまった俺が阿呆だったんだ。」
これ程までに自分の楽観さを悔やんだことはない。そんな自問自答をしている間にもエレベーターは勢いを増すこともなく上がっていく。
「もうすぐ25階か、一旦降りて用を足しておこう。」そう思い俺は25階のボタンを押した。
ここのマンションを作った会社がエレベーターの事を考えて5階ごとに共用トイレを設置したのだ。
【意味不明】という言葉はこういう時に使うのであろう。
そもそも普通のエレベーターにしておけば5階ごとにトイレを設置することも、エレベーターに乗る度にいちいち気構えをすることも全く持って無かった筈だ。ここのマンションを選んだ自分にも大声で言ってやりたい。
「意味不明!!!」と。
「タラララッタッタッタ~♪」
25階に到着し扉が開く。
「なんやねんその到着音。ドラクエかっっ。レベル25になったんかっっっ。」エレベーターに小さく突っ込む。
そうして一旦降りてトイレに向かう。
トイレの前に着く。ドアを開けて驚愕する。
トイレの中は宝石の様に光り輝き、ヨーロッパ風の室内に大人20人はゆうにくつろげるであろう程の広さ。
壁には大きな液晶テレビが設置されており、4人掛けのソファーが縦横に5つ。更にはビールサーバーにおつまみまで置かれてある。
意味不明を通り越して神々しささえ感じ俺は吸い込まれる様に中に入った。
中に入り更に驚愕する。何も無いのだ。もう一度言おう、【何も無いのだ】
小便器もなければ大便器もない。な・に・も・な・い【なにもない】
入口にはしっかりと【共用トイレ(男)】と確かに書いてある。
しかしながら、そもそもが楽観主義者の俺はすぐさま気持ちを切り替えトイレ(風)の室内に戻り、ビールを7:3の黄金比率で注ぎ、コンソメパンチをチョイスし誰も座っていないソファーに腰掛けてテレビを観る。今、流れているのは大好きなお笑い番組『ガキの使いやあらへんで』だ。
そしてひとしきりゆっくりした後、もはや帰りたくないほどの豪華なトイレ(風)を背にして家に帰る為エレベーターに戻った。
再びエレベーターが55階に向け動き出す。
30、40、50、よちよち歩きのエレベーターだが確実に、そして着実に長い道のりを上っていく。
その様はまさに一歩一歩大人の階段を上がっていく我が子の様に見えた。
「家に帰ったら愛する妻と我が子を強く抱きしめよう。」
周りに誰もいない為か、恥ずかしげもなく自分自身にそう囁く。
「タラララッタッタッタ~♪」
遂に55階に着いた。「ドラクエかっっ。」とはもう言わない。ここに来るまでの道のりで俺は大山脈の澄んだ水の様な人間に生まれ変わったのだ。
約2時間30分、俺を家まで送り届けてくれたエレベーターに労いと感謝の言葉を残し愛する家族のもとへと歩みを進めていた。
「...ガチャ」
玄関のドアを開け俺は言った。
「ただいまー!」
妻の声がリビングから聞こえる
「おかえりー!」
我が子を抱き抱えた妻が俺の前までゆっくり向かってくる。
「お仕事ご苦労さま♪今ちょうどお風呂が沸いたから先にお...」
妻が喋り終わる前に2人を抱きしめ俺はもう一度言う
「ただいま。」
少しびっくりした妻を見て急に照れくさくなり抱きしめていた両の腕をパッと離す。
そしてその瞬間に先ほどトイレ(風)の部屋でビールを飲んでしまった為か、急に尿意を感じトイレに向かう。
「ちょっとその前にトイレに行ってくるね。」
そう話しかけた俺に妻が衝撃の言葉を発する。
「...トイレ?家にトイレなんて無いわよ?」
「.........!?」
...そこで俺は目が覚めた。
俺は起きた。
今までの経験をフルに活かし急いで布団から抜け出し確実に、そして着実に。トイレへと歩みを進めた。
「...ガチャ」
明るい未来へと続く扉を遂に開け、俺は安堵の声で呟いた
「セーフ」
~ギリギリの夢~終
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